先日、石川県の真脇(まわき)遺跡の動画を見ました。
縄文時代前期(約6,000年前)から晩期(2,300年前)までの約4,000年間、人々が住み続けて反映した集落遺跡です。
★縄文時代。
約16,000年前~約2,800年前までの、1万3,000年間を、縄文時代と呼びます。
そういえば、近くに縄文時代の貝塚があるのを思い出したので、出かけてみることにしました。
電車にゆられ着いた加曽利貝塚は、大樹がたくさん繁っていて、とても静かでおだやかなところでした。
博物館、竪穴住居跡、復元集落を見ながら、縄文時代の空間に思いを馳せてみました。
加曽利貝塚に縄文人が住み始めたのは今から約7,000前のこと。
巨大な貝塚の形成が始まったは、今から約5,000年前の縄文時代中期で、貝塚が最も大型になったのは、今から約4,000年前の縄文後期のことです。
その後、貝塚が形成されなくなった晩期中頃の約3,000年前まで拠点的な集落が営まれ、この地が2,000年もの長い期間にわたり繰り返し利用されてきた特別な地域であることが明らかになっています。
真脇遺跡にしても、加曽利貝塚にしても、何千年もの間、同じ場所で平和に暮らしていた縄文時代は、どんな暮らしをしていたのでしょうか。
いろいろと調べてみたら、『縄文人は、心に余裕があった。』と書かれているのを見つけました。
縄文人は「足るを知る」の精神で自然に謙虚に向き合っていたとも。
それから、とてもオシャレで、縄文土器もとてもクリエイティブだったようです。
食事も、貝以外の木の実や、魚なども食べていたり、木の実は粉末にしたものを練って、現代のクッキーやパンに似た加工食品まで作っていました。
縄文時代が終わり、稲作が広まった次の弥生時代からは、地域の人を働かせて米をつくるようになり、支配する人と支配される人に分かれ、貧富の差が出てきて、土地の争いや、田んぼの引く水の奪いもあり、この時代になると、こん棒でなぐられた人や、額にやじりが刺さって殺された人の骨が見つかっているようです。
縄文時代と、弥生時代、こんなにも暮らし方が違ってしまうのでしょうか。
なんだか、縄文時代を調べるほど、興味がわいてくる時代のような気がします。
日本好きな私は、日本人の気質は、縄文時代から育まれてきたものなんだな~と、あらためて思うのでした。
きっと、精神的には、現代人よりずっと優れていたのではないでしょうか。
穏やかな木漏れ日が、続いています。
長閑な空です。
復元集落へ・・・。
藁葺き屋根、懐かしいですね。
おじいちゃんの家の屋根が、昔、藁葺き屋根でした。
ほのぼのとした空間が、とても気持ちがよかったです!